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そのときの光

 写真展「そのときの光」は、福島県の西端、西会津町の山懐に位置する西会津国際芸術村を舞台に、2013年10月20日から11月24日まで開催した、写真によるインスタレーション展示(あるいはサイトスペシフィック・アート)です。

 西会津国際芸術村は、2001年に廃校となった中学校(旧新郷中学校)を活用した町営の文化交流施設で、ご覧のとおり、床・壁・天井・柱すべてが木造の大変美しい建築物です。この木造校舎は戦後間もなく、地元の集落の方々の総出で建設されたとのことで、かつては子供たちが駆け回り、掃除の時間には丁寧に磨いたであろう飴色の教室や廊下は今も大切に保存され、艶やかな輝きを放って、訪れる人々を温かく迎え入れてくれます。

 校舎内に一歩足を踏み入れると、懐かしい気持ちが湧いてくると同時に、21世紀の現代にあってはかえって新鮮な感覚を刺激される、とても魅力的な空間です。

 この素晴らしい舞台を活かすには、どのような展示内容や見せ方がふさわしいか。
 幾度も芸術村へ通い、その佇まいにカメラを向けながら検討を繰り返した結果、単に写真を展示するための「容れ物」として利用するのではなく、木造校舎を中心とした「場の魅力」そのものを作品として提示してみてはどうかというアイディアに辿り着きました。すなわち、芸術村それ自体を被写体として撮影し、その写真のプリントを撮影したその場に展示する、という趣向です。
 このアイディアは、芸術村ディレクターである矢部佳宏さんとの打ち合わせの中から産まれたものです。ちょうどこの年に芸術村に着任した矢部さんは、芸術村を切り盛りするスタッフの中核として、持ち前の鋭敏な発想力と行動力を活かしながら、芸術村の活動をより一層盛り上げようと奮闘し始めたばかりでした。ランドスケープアーキテクトの資格を持つ矢部さんからは、例えば「ゲニウス・ロキ」(地霊、と訳せばよいでしょうか)の概念など、多くの示唆を頂戴するとともに、この写真展の開催と成功に向けて一方ならぬバックアップをいただきました。
 さて、写真展の方向性は定まったものの、この展示方法がどのような効果を発揮し、訪れた方にどういった印象を与えるかについては、現実に展示空間を作り上げてみるまで、私自身も明瞭なビジョンを持てないままでいました。頭の中のシミュレーションのみが頼りで、上手く行くか失敗するか見当もつかないこの企画は、自分の持つ能力以上のものが要求される大変スリリングな挑戦でもありました。
 ところが、開催前日、いざ現地でのセッティングに取り掛かってみて、実際に「撮影した写真のプリントをその場に展示してみた」ところ、今まさに目に映っている光景と、かつては間違いなくそこに存在した、しかし、今となっては写真という形でしか残されていない過去の時間と空間とが、まるで入れ子のように組み合わさって、不思議な混沌の感覚を訴え掛けてくることがわかりました。それはまさに、この地に密やかに眠っていた「地霊」が引き起こしてくれた、一種の化学変化だったのではないかと思っています。
 また、『そのときの光』というタイトルは、構想の比較的早い段階で浮かんだものでしたが、その真に意味するところは、実際に出来上がった展示を目の当たりにし、会場に訪れてくださった観客の皆さんの感想を伺って初めて、作者自身としても腑に落ちた気がします。
 すなわち、時が巡り続ける中で、たとえ似通った場面はあるにしろ、まったく同じ瞬間は二度と訪れることはないという単純な事実に、この写真展を通してあらためて深く出会うことが出来たように思うのです。教室の窓から射し込む陽の光の方角や強弱一つ取ってみても、作品の撮影を行った夏場と、写真展を開催した秋とではまったく異なっていました。また、たった一日違うだけで、山肌を染める樹々の色合いも別なものへと移り、あるいは同じ一日の中でも芸術村それ自体が刻一刻と表情を変えて行きます。遠方から芸術村を訪れ、この写真展をご覧になられた皆さんも、そうした微細な変化に敏感な反応を示されていました。
 人の生死の一回性にも繋がるものとしての「そのときの光」たち。
 写真メディアが持つ記録という特性を軸に、人の記憶と時間の(容赦ない)経過を対比させることによって、誰もが心の奥底に仕舞っている掛け替えのない出会いや経験、感覚にもう一度通じるための展示空間が実現できたとすれば、これに勝る喜びはありません。


 

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 展示構成は、木造校舎全体を回遊式の芸術テーマパークと捉えて設定しました。
 廊下の壁や戸口、果てはトイレの中まで、芸術村のありとあらゆる場所に大小のプリントを散りばめて展示することにより、どこにどんな写真があるか探し当てて楽しんでもらう「宝探し」イベントの要素が盛り込まれています。

 

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 芸術村の2階には、1年生から3年生までの各教室があります。それぞれの教室ごとに展示の表情を変えています。
 

 

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 順路に従って階段を上り、2階廊下を進むと、最初に1年生教室が現れます。
 ここは写真展のコンセプトを凝縮して展示する空間としました。

 天井から垂れ下がったワイヤーフックのとなりには、そのワイヤーフックを被写体にした写真。木の床を撮った写真を、そのまま床の上に。
 一種の「騙し絵」です。
 中には、そこに写真が在ることに気づかず、誤って床の上のプリントを踏んづけてしまった方もいらしたようです。そうした方こそ、きっとこの写真展をもっとも楽しんでくださったお客さまなのではないでしょうか。


 

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 2年生教室には、B0サイズの大判プリントを3枚、おおらかな配置で展示しました。
 3枚とも床の上に広げて、芸術村の敷地内で拾ってきた石や、かつて授業で使われていたと思われる復元土器・天秤秤を、四隅の重しに載せています。
 一般に写真作品の展示は、額装したプリントをギャラリーの壁面に整然と並べるスタイルがほとんどですが、この写真展ではそうした約束事をすべて忘れて、広々とした空間に、壁と言わず床と言わず、思いのままに写真を並べることができたのが、何より痛快に感じられました。
 また、会場にはその旨は記しませんでしたが、この2年生教室における展示形態や写真の配置は、(そうした存在が実在するかどうかは別にして)西会津の地に宿る地母神、あるいは長い時を経て木造校舎に息づく精霊たちへの「祀りの場」を形作ることを意図したものです。

 3つのプリントそれぞれに、詩のようなキャプションを添えました。その中から一つだけ、ここに転載します。

 

帰り道は、いつだって夕暮れ。
隣を歩くあの子の顔が、夕焼け色に輝いて。
それだけのことが、何となく、嬉しい。
それだけのことが、何となく、淋しい。
引っ越しが決まったあの日、
「いつかまた会おうね」
と約束して別れたきり、一度も会わなかった。
日が落ちると、辺りはすぐに真っ暗くなる。



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 3年生教室は、この一室のみ、独立した展示空間となっています。
 2013年2月に、東京・日本橋小伝馬町のiia galleryにて開催した個展「Life is beautiful−光の森−」の出展作品に新作を加え、再構成した上で、インスタレーション展示を試みました。
 アクリル・パネルに挟み込んだプリントを、水を張ったガラス器が支えています。展示全体は、大きな円弧状に、教室の壁から壁までをゆったりと横切ります。
「光の森」は、その名のとおり、森の樹木に射し込む七色の光線をモチーフとしています。そして、樹木にはやはり、たっぷりの光と水が欠かせません。たとえそれが写真の中の樹々であったとしても・・・。
 東京での個展とはまた違った形で、この作品集にとって、素晴らしい環境を得ることが出来たと思っています。

 期間中、建物のライトアップ並びにライブ演奏の企画として《芸術村ナイトミュージアム》が開催されました。

「光の森」も、昼間とは雰囲気をガラリと変えて、夜の顔に変身です。

 

 

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 このような大掛かりな展示は、挑戦してみたいと思っても、そう簡単にチャンスに恵まれるものではありません。私自身、次はいつ、こうした会場や仕掛けで写真展を開催できるか、まったく想像もつきません。
 素晴らしい機会と稀に見る幸運を与えてくださった関係者の皆さまに、この場を借りまして、あらためて深く御礼申し上げます。そして何より、遠い道のりを会場までお越しくださった皆さま、本当にありがとうございました。
 西会津町と芸術村のますますの発展を祈ってやみません。是非また、お会いしましょう。

西会津国際芸術村
http://nishiaizu-artvillage.com

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