写真展『風姿』
西会津国際芸術村にて
Photo Exhibition "Fu-shi" in Nishiaizu International Art Village
2016年11月から12月に掛けての約一カ月間、福島県西会津町の西会津国際芸術村にて、写真展『風姿(ふうし)』を開催しました。
西会津国際芸術村は、かつて中学校だった古い木造校舎を活用した町営の施設で、山懐に抱かれた静かな心安らぐ環境の中、アートと地域活性化のためのさまざまな活動を精力的かつ継続的に行っています。
私自身も2013年に、ここ西会津国際芸術村を舞台に『そのときの光』と名付けた写真展を開催しました。ですので、今回の『風姿』がこの場所で開催する二度目の作品展、また『風姿』という作品自体にとっても、2015年9月に東京・銀座のArt Gallery M84で個展を開催して以来、二度目のお披露目となりました。
*写真展『そのときの光』については、こちら。
*作品集『風姿』については、こちら。
展示作品数は、前述の銀座での展示作品からセレクトし直したものに新作を加え、全部で20点としました。大中小のフレームサイズを用いた額装の仕上げは同じです。
ただし、西会津国際芸術村の展示室は元が教室であるため、窓が多いのに比して壁面の延長が短く、さらに真ん中にぽっかりと大きなスペースが空いていることから、この空間をいかに使いこなすかが展示全体を左右する要となります。
今回は、芸術村の各種展示に用いられている白色の木製ボックスをお借りして、これを全体の核に、お能という作品テーマが内包する「死と再生」の含意を表そうと努めました。
結果、三連に並べた細長いボックスは、まるでひっそりと安置された「棺」のような印象を見る人に与えたのではないかと思います。その上に白い敷布を渡し、さらに遺影のように置かれた写真たち・・・。
もう一つの部屋は「祭壇」をイメージしています。
壁の中央に飾られた三枚組の写真は、どこか三尊像のよう。周囲を取り囲む脇侍たち。そして、中央の青々とした苔玉が空間を荘厳しています。この苔玉に生えている草の名は「風知草(ふうちそう)」と言い、作品のタイトル『風姿』にぴたりと寄り添います。
以上は、一枚一枚の作品がお能の演目の見立てになっていることも含めて、作者の心の中にだけ存在する想像の世界を、仮に形に表したものでしかありません。
ですが、人と人、あるいは人と世界とは、想像の力を介してしか結びつくことが出来ないのもまた、事実です。
私が表現行為を通じてもっとも訴えたいのは、恐らくはそういうことではないかと思っています。
今回、同時展示を、福島市在住の画家・渡邉里絵香(わたなべ・りえか)さんにお願いしました。短い準備期間にも関わらず、意欲的な作品を幾つも描いてくださいました。
彼女の絵は一見、私の写真とは対極のように見えますが、じっと見ていると、人物画が能の登場人物のようにも思えて来ます。
言葉にし難い感情を刺激する、独特な世界を描く女性です。
私は、ガラス面に映り込んだ虚像と作品の二重写しの光景が大好きです。展示会を開催する上での楽しみの一つでもあります。もちろん、自分の作品だからそう感じるという面はあるかとは思いますが。
たとえアートであっても(いや、アートだからこそ)、モノの質感や存在感というのは究極的には媒介に過ぎないのであって、その媒介するものの力によって、見る人の内面(心と呼んでもよいし、端的に脳と言ってもよい)に再結像されるイメージこそが、作品の完成形であると思っています。
そのイメージは人によって異なるし、時と場所によっても異なるから、一つの作品に無数の完成形のバリエーションが存在することになります。そうした意味では、作家とは必ずしも創造者のことではなく、橋渡しをする者を意味するのだと思ったりもします。
西会津国際芸術村の展示室には、広い窓からたっぷりと外光が射し込むせいで、時刻や季節の違いに応じたさまざまな二重写しのバリエーションを楽しむことが出来ます。一種のサイトスペシフィックなアートの楽しみ方と言えるのではないでしょうか。
noteへの投稿記事で、作品集「風姿」のコンセプトについて、あらためてまとめ直しました。(2023.6.25)