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風姿

Inspired by “Noh” plays

 

 

 

 この作品集は、テーマに関する着想を「能」から得ています。

 ですので、まずはそのことから書き始めたいと思います。

 

* * *

 

 能(あるいは能楽)は、14世紀から15世紀にかけての室町時代初期におおよその形が定まった、我が国を代表する伝統芸能の一つです。

 憂いを帯びた微笑がどこかモナ・リザを思い起こさせる能面をかけ、クラシックな装束を纏い、削ぎ落とすことのできるものをすべて削ぎ落とした(見方によっては抽象的とさえ言える)舞を舞う舞台の様子は、皆さんも実際に、あるいは映像メディアを通じて、ご覧になったことがあるのではないでしょうか。

 現代まで伝わる能の演目はおよそ二百数十曲と言われており、その多くは、能の始祖とも呼ぶべき偉大な父子・観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)にさかのぼります。

 中でも世阿弥は、優れた能の演者・作者であったのみならず、能の真髄を記した指南書『風姿花伝(ふうしかでん)』を残すなど、卓越した理論家としても存分に才能を発揮しました。

 

 世阿弥は、その著作の中で「よき能と申すは、本説正しく、めづらしき風体にて、詰め所ありて、かかり幽玄ならんを、第一とすべし」と述べています(花伝第六/花修)。

 すなわち、優れた能とは、物語が古典に依拠しており、演出には新鮮な工夫があって、人目を惹きつけるクライマックスに事欠かず、姿形には優美な情緒を伴っているものだ、と言うのです。

 実際、能の演目の大半は、伊勢物語や源氏物語、平家物語のような、古代から中世にかけて成立し、人口に膾炙した古典文学を題材としています。また、能の台本とも言える謡(うたい)を読むと、有名な和歌や漢詩からの引用が全篇にわたって散りばめられていることがわかります。美しく懐かしい過去を追慕しつつ、時間の井戸の底から新たな情緒の糸を手繰り寄せようと趣向を凝らす作劇手法は、世阿弥がもっとも得意とするところでした。能は、能という芸能が生まれるより前のさまざまな文化的エッセンスを漉して集め、それらを組み立て直して再提示することによって、能を見、能を聴く人々の胸中に複雑で重層的なイメージを立ち上らせる装置でもあるのです。

 

 能は「引き算の美学」にも長けています。

 あるいは、「引き算」を重ねながらより豊かな表現へ到ろうとする美学を持っている、と述べた方が正確かもしれません。

 各演目の演出に当たって与えられた大胆な指示は、前述した抽象の美とも結びついて、現代の我々の目から見ても大変斬新なものに映ります。

 例えば、「葵上(あおいのうえ)」。

 源氏物語の有名なエピソードに基づくこの演目では、光源氏(ひかるげんじ)の寵愛を失った六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が生き霊となり、光源氏の正妻である葵上を取り殺そうと襲いかかる場面が描かれるのですが、タイトルにもなっている葵上自身は登場人物としては一切姿を現さず、声も発せず、ただ一枚の着物(小袖)が舞台中央に横たえられ、その無生物たる着物が、生き霊に懊悩する葵上という一人の女性に見立てられるのです。これは、視覚上の面白さに訴えるだけでなく、原作においても存在感薄く描かれた葵上の人物像を同時に表現する、巧緻を極めた演出に思われます。

 

* * *

  

 今回、能をテーマとした作品を制作するに際し、私は、以上のような能の劇芸術としての性格を写真に投影することを一番の目的としました。

 モチーフは、大空を横切る一筋の飛行機雲です。

 あるとき突如、虚空に白い痕跡を現し、すぐまた風に押し流されて跡形もなく消え去る飛行機雲。その美しさと儚さに魅力を感じたのはもちろんですが、一方で、場所・時刻・季節・気象、さまざまな要素が加味されることによって自在に変化する飛行機雲の姿に、思わぬ感情の揺れや物語性を見出したことが、『風姿』と名付けたこの作品集誕生の大きなきっかけでした。

 テーマとモチーフは、能がそうであり、近世以前の日本の多くの芸術がそうであったように、「見立て」の精神を介して結びつけられています。「見立て」とは、或るものを別のものになぞらえること。或るものを通して別の何ものかを幻視すること。二つの異なる対象の間に新たな橋を掛け、鑑賞者の内的イメージを時間的にも空間的にも拡張する方法論と言えるでしょう。

 ここでは、一枚一枚の写真に、それぞれの絵柄から想起される能の演目名を付すことにより、古の物語に秘められた密やかなメッセージを主に視覚の面から現代に蘇らせようと企図しています。

 

 最後になりますが、私自身、学生時代に能(仕舞と謡)の稽古に勤しんだ経験が、その後二十余年の歳月を経て今回の作品を生み出す母胎となりました。

 本作品を通じ、テーマとモチーフとが時空を越えて照応し合う、この場限りの仮構の世界に遊んでいただけるとすれば、作者としてこの上ない歓びです。

 

 

《発表歴》

2015年 写真展「風姿」Art Gallery M84(東京都中央区・銀座)

2016年 写真展「風姿」西会津国際芸術村(福島県西会津町)

2019年 盆栽と写真の二人展「松・美・心」Art Gallery M84(東京都中央区・銀座)/盆栽作家・阿部大樹氏と

2019年 「白磁と写真の二人展」風花画廊(福島県福島市)/陶芸家・田崎宏氏と

 noteへの投稿記事で、作品集「風姿」のコンセプトについて、あらためてまとめ直しました。(2023.6.25)

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